How I’ve Learned English ~どうやって英語を学んできたか~

 

アメリカ

ぼくは英語より前にアメリカに興味を持った。小学生のころドラマ『フルハウス』『素晴らしき日々(英:The Wonder Years)』をNHKでやっていて、いつの間にか毎週見るようになっていた。もちろん吹替だったので画面の中の人が英語でしゃべっていることは意識していなかったのだけれど、同じくらいの年の子どもたちが自分とはぜんぜん違う文化の中で暮らしているのにおどろいた。

 

フルハウスの舞台がサンフランシスコだったから、西海岸の旅行ガイドを買ってもらって隅から隅まで読んだ。図書の時間にはアメリカという国を紹介する本やエジソンの伝記を読んだ。マザー2にもはまった。

 

 

ザ・ビートルズ

1995年の大晦日に『ザ・ビートルズ・アンソロジー』が放送されていなかったら、自分の人生は今とは全く違うものになっていたかもしれない。彼らの曲のすばらしさと、人間としてのかっこよさに衝撃を受けた。

 

それからというもの、月に1枚買えるかどうかの小学生の財力でCDを集めた。対訳を見ながらひたすらビートルズのアルバムを聞いた。文法を意識することなく、メロディと一緒にフレーズごと英語を覚えていった。こんなふうに英語を好きになれたのはとても幸運なことだった。そして何より英語を「勉強」と思うことが一切なかったのが良かった。

 

ある日、「この英語は本当にこういう意味なのだろうか、対訳を信じてもいいのだろうか」という素朴な疑問が頭をよぎった。訳なしでそのまま英語を理解したくなった。そのためには自分で英語をきわめるしかない!そんな感じで中学入学を迎えた。

 

 

中学・高校

ビートルズのおかげで英語の授業は楽勝だった。特に文法を意識しなくても文を理解することができたし、曲で覚えたフレーズが後付けで整理されていった。”I saw her standing there” “It won’t be long” “I should have known better” 例を挙げればキリがないが、あれはそういうことだったのか!という発見の連続だった。英検も2級まですんなり取れた。

 

基本的に学校は嫌いだったので授業中も寝ていることが多かったし宿題もほとんどしたことがない。親にも勉強しろと言われたことはなくて、本当に自分が興味があることしかしていなかった。50年代から当時流行っていたものまで幅広く英米の音楽を聞いたり、ドラマや映画やスポーツやニュースを見たりしてたくさんの英語に自然にふれていた。

 

一時は高校を辞めようと真剣に思っていたのだけれど、海外旅行を体験したらもっと広い世界を知りたくなって、大学に行きたくなった。中学の途中ですでに数学を捨ててしまっていたので、私立文系しか受けられない。高2の終わりごろ初めてまじめに模試を受けたら、第一志望の地元の大学はA判定が出てしまった。

 

 

早稲田

高3の1学期のある日、教室に貼ってあった大学ランキングのポスターを眺めていた。表の一番上に早稲田大学政治経済学部とあった。よし、ここに行こう。それまで早稲田や慶應がそんなにいい大学だなんて知らなかったし、関東の金持ちのおぼっちゃまが行くところだと思っていた。親戚を見渡しても大卒者が一人もいなかったので、大学がどういうところか教えてくれる人は誰もいなかった。調べているうちに、どうしても早稲田に行きたくなった。

 

とりあえず過去問を見てみた。とても太刀打ちできない。それから人生で初めて「勉強」をした。まずはインターネットで情報収集して評判がいい参考書を集めた。学校の授業が役に立たないことはすぐにわかったので内職をした。途中から学校に行くのもやめた。卒業さえできればいいのだ。

 

どうしても早稲田に行きたかったので政経、法、教育の3学部だけ受けることにした。直前までずっとE判定だったが特に気にしなかった。6年間まじめにやってきた人たちに今は勝てるはずがないのだから。センター8割レベルまでの実力は完成したが、まだ足りなそうだった。利用しないけど受けたセンター試験は英語187点、国語136点(爆死)、日本史86点、現社80点だった。

 

 

浪人=強くてニューゲーム

結局3学部とも落ちてしまった。宅浪は不安だったので予備校に入った。しょぼい高校だったので割引はなかった。最初の模試で私文全国20位になって、自分がやってきたことは間違いじゃなかったと判明した。それまで早稲田E判定だったのがA判定になっている。残りカスの中では上のほうまでいけたのだろう。強くてニューゲームだ。予備校の授業もすぐにムダだと判断できたので、ほとんど行かずに家で参考書を回した。

 

夏前に早稲田の成績開示が届いて、愕然とした。教育学部はあと0.8点、法学部はあと3点だった。政経はさすがに10点以上足りなかったが。1点をもっともっと大切にしなければいけない。それからちょっとやる気をなくして夏はだれていた。8月に、一足先に上京した友人に会うついでに早稲田に行ったらやる気が復活した。

 

秋以降は順調に勉強を続けて全国20位前後をキープした。またまたお試しで受けたセンターは英語196点、国語147点(2年連続爆死)、日本史95点、現社87点だった。1浪だとさすがに早稲田だけというわけにはいかないので慶應と中央も受けた。

 

 

全勝

早稲田政経・一文・法・商・教育をはじめ慶應法、中央法に全部受かってしまった。慶應に行くか早稲田に行くか最後まで迷ったが第一志望の早稲田政経に行くことにした。慶應に行っていたら今ごろ商社マンか外交官にでもなってブイブイいわせられていたかもしれないな…

 

大学受験時の勉強法はいずれもっと詳しく書きます。

 

 

20代

大学に入ってからほとんど勉強らしい勉強はしなかった。ビートルズのルーツや同世代のアーティストに本格的にはまって50~60年代のロックやR&Bやソウルやブルーズやジャズを聞きあさるようになり、中古レコードを集めた。日本語の情報が少ないのでレコードの裏ジャケ、ライナーノーツ、英語版Wikipedia、伝記(原書)をたくさん読んだ。あとはプリズン・ブレイク、24などのドラマや映画をたまに見たり、居酒屋で隣にいたアラブ人と会話したり、英語にふれていたのはそれぐらいのものだった。

 

ミュージシャンの自伝は平易な英語で書かれているので簡単に読めたし、どいつもこいつも内容は同じだった。幼少期から青春時代→売れる・各種ドラッグにはまる→ヘロイン中毒でリハビリ→復活という流れだ。ヘロイン、ダメ、ゼッタイ。

 

いま、iTunesに3万曲近い曲が入っている。非英語楽曲を抜いたら2万曲ぐらい。歌詞を真剣に読んだ曲が4分の1くらいあるとして、5000曲は英語の歌詞を読んだことになる。大学を卒業する間際ぐらいから小説を読むのも好きになって、夏目漱石と村上春樹はほとんど全部読んだ。英語の文学も読むようになってビート・ジェネレーション、ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、ブローティガン、ブコウスキーなどが好きになった、大学受験までの勉強という基礎と、こういった自然な多読のおかげでいまの英語力が身についたと思っている。

 

2013年、リンゴ・スターとポール・マッカートニーの日本公演を見た。MCはわかりやすくゆっくりしゃべってくれていたのだけれど、彼らが言っていることを理解できて本当にうれしかった。ビートルズを英語そのままで理解するという当初の目的を達成することができて感無量だった。

 

 

これから

最近講師業を始めたのでTOEIC満点という看板が欲しくて受験を続けている。英検1級もぼちぼち受けようと思っている。どちらも達成したらTOEFLやIELTSを受けたい。留学もしてみたい。エベレストの前に富士山登っとくか的な感じで今はやっている。